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「民主主義xユダヤ式弁論術」を終えて

1/24、美学校にて、

『民主主義xユダヤ式弁論術 対話ってどうやるんだ?』を行いました。

来てくれた皆さま、パネラーのみなさま、会場を貸してくれた美学校さま、

本当にありがとうございました。

 

今回は

「すべての表現者に対話のやり方を伝える」

と、

「ロジックは相互理解を本当に促すのか確かめる」

という事を目標にワークショップを開催しました。

もっとやりたい、他のテーマでもやりたい、

という声はいただけたので、前者の目標は達成できたと思いますが、

予定のプログラムも半分しか進まなかったために、

後者の目標は達成できなかったと思います。

現時点で、多くの参加者の方の印象としては

ロジックは相互理解を促さない」だったのではないでしょうか。

しかし、あくまで予定の半分しか進んでいないので、

私としてはその結論を出すのは早計だと思っています。

 

ちょっと解説させてください。

「ユダヤ式弁論術」と今回読んだものは、TOCというのが正式名称です。

で、TOCでは、問題解決までのステップとして、

1.問題の存在に合意しない

2.問題解決の方向性に合意しない

3.その方法で問題が解決するとおもわない

4.その方法で発生する副作用を懸念する

5.その方法の実現が難しい(障害がある)と懸念する

6.知らないことに対する恐れ

を順番に乗り越える必要があると考えています。

そして今回は、このうち1に合意し、

2から5にかけては、その論点を出して各々の考えるテーマにしよう、

と考えていました。

 

 

が、用意した2時間が終わって、

ようやく導き出せたのは、1の「問題」の全体像(仮)だけ。

ようやくスタートラインに立てたかな?ってところでタイムアップとなってしまいました。

 

パネラーからは、

「安保法制は日本の安全に本当は寄与しないんじゃないか?」

「軍事的に孤立することは経済的にも孤立することになるんじゃないか?」

「違憲なものを通してしまったら、これから憲法が有名無実化するのではないか?」

など、議論が白熱しそうになる話題が何度も提示され、

それを私はことごとく後回しにしたので(そしてそれを話す時間はなかったため)

フラストレーションがたまった方もいると思います。

しかし、上に紹介した手順を踏むと考えたなら、

これらの話題が1から6のどの段階で扱われるべきなのか、お分かりいただけると思います。

 

ここでの進め方の反省点としては、

もっと簡単な形ででも、上記のステップを最初に紹介すべきだったかな、という点と、

もっとシンプルに、時間をもっと多く見積もっておくべきだったな、という点です。

次回以降改善したいと思います。

 

 

一方で、発見も多くありました。

たとえば今回、安保(消極的にでも)賛成派の方々が自明のことのように持っていた

「日本国は日本人の集団であり日本人に対してのみ責任を持つ」

という前提に対し、アイデンティティの問題として全く受け入れられない人が存在するという事。

そして、それでも対話は可能だし、共通の目的を模索し、ともに考えることができるという事。

(逆に言えば、その前提を持たない人を切り捨てれば、議論はスカッと進むという事)

また、「単純化がすぎる」という指摘も受けましたが、

そこに複雑な(と、いっても、二~三個の理屈のステップを踏むだけですが)説明をしてしまうと、

前提を共有できていない人達にはまったく伝わるなくなるという事。

 

つまり、今回の反省・発見の全ては、

「対話には時間がめちゃめちゃかかる」

ということです。

 

乱暴な言い方をしてしまえば、

分かってもらうことを急いで説明を始めるともう対話にはならない。

先にすすめようと、しっくりこない点を飲み込んでしまっても対話にならない。

しかし、物事にはタイムリミットもあればタイミングもあるわけで、

その中で多数派を作るための動き(レッテル貼りや少数派の切り捨てなど)が必要となってしまっていることが、

対話が十分にされていないという原因になっているのだと、今回学びました。

つまり、それはヒトが時間と空間の世界で生きている以上、必然であると。

 

今回のパネラーの中には、具体的な政治的目標や利害関係を持った人も(多分)いました。

が、変な話、おそらく多数派である我々ノンポリ(私は一部で「右翼より右翼」などと呼ばれてますが)には、

タイムリミットを切って政治勢力をつくる必要もモチベーションもありません。

つまり、生きているあいだはずっと、「対話」を試みることができるのです。

ワークショップの企画時は、「対話するチカラ」のようなものを必要としているのは、

具体的な政治的目標をもって活動している人達だと思っていました。

ですが、もしかしたら、対話するチカラを培って、この社会を分断からまもることができるのは、

むしろ大多数のわれわれノンポリであり、

それこそが民主主義の神髄、多数派ゲームに堕さない民主主義政治の面目躍如なのでは、

と思います。

「熟議」みたいなことが可能でかつそれを担うべきなのは、政治にコミットしてる人達ではなく、

カントもクラウゼヴィッツもロールズもチョロッとしか知らない我々ノンポリなのではないか、

というのが今回の結論です。

 

せっかくなんで、また機会をつくって(オープンでやるかはわかりませんが)この続きはやりたいと思っています。

また、「こんどはもっと軽いテーマでやりたい!恋愛とか!」という意見もいただいているので、

それもやりたいと思います。

毎週土曜日の昼間にわたし奥平が歌舞伎町の「バーはな」でマスターやってますので、

そこでやるのもいいんじゃないかな。

日取り約束して集まってもいいし、ふらっと来てこんなテーマで、みたいな感じでもいいし。

個人的なお悩みでもいいし。やりたいとおもいます。

 

ご意見やご質問、ご要望などございましたら、

ここのコメント欄はあんまり機能してないのでツイッターで連絡ください。

繰り返しになりますが、日曜の夜にわざわざ足をお運びいただいた参加者のみなさま、

本当にありがとうございました。

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