毎週日曜日『A』やってます@トキハ別府店

パフォーマンス

10:00から19:00まで、ひたすら自分の声を440ヘルツのAにチューニングし続ける

というパフォーマンスをやっています。

次で四回目です。

 

回を重ねて感じることは、

まず、思ったより楽だということ。笑

当初の目論見としては、ボロボロで血反吐を吐きながら8時間やりきって、

毎日チューニングしてるみんなすごいよね!って結論になるかなと思ってたのですが、

意外とボロボロにはならなかったです。

毎日やったらつらいと思うけど。

 

それから、一回目はチューナーが倍音を拾ったりして、

ずれた音程を表示すると慌てて戻そうと右往左往しましたが、

二回目三回目はゆっくり調整できるし、

場合によってはチューナーが倍音を拾わなくなるまで音程を変えない、

とかいうこともやりだしました。

慣れるとチューニングにも余裕が出てきます。

 

三回目にはお客さんの様子をみることにも余裕が出てきて、

コミュニケーションの取り方も上手くなったと思います。

(僕は「あー」と言い続けているので、しゃべれません。身振り手振り。)

 

次回以降も、どんな変化が訪れるか楽しみです。

 

 

以下、会場で配っているコンセプトを転載します。

 

A

個人が社会を構成するということと、そのためのチューニングについて

 

オーケストラが美しい交響曲を演奏するためには、必ずチューニングが必要になります。楽器は、それがたとえ大量生産の規格品であっても、ほんの少しのズレやセッティングによって音程に個性が出ます。その楽器一つ一つでちょっとずつ違っている音程を、毎回の演奏の前にぴったり同じ音程(一般的には、440ヘルツのAの音)に合わせる作業がチューニングです。この準備を怠ると、ハーモニーは絶対に生まれません。演奏中も、ちょっとしたことで音程はズレてしまいます。奏者は注意深く自分の奏でている音と周りの音を聞き比べて、チューニングをし続けなければいけないのです。

 

そして、社会や組織はしばしばオーケストラにたとえられます。「その社会の構成員一人一人が、周囲と音程とテンポを合わせながら自分の役割を果たすことで調和のとれた美しい社会が生まれます」と。だとすれば、そこには必ずチューニングの要素があるだろう、と僕は考えました。おそらく我々は、家庭で、学校で、会社で、規格品の楽器になるよう加工・調整・選別されました。そして毎朝目を覚ましたら、身なりを整えるなどのチューニングをしてから仕事に出かけます。仕事に限らず、友人や恋人と会う時だって僕らはきっとそこに合わせたチューニングをしているし、自分の家の中で「母」や「兄」といった役割にチューニングしている人もいるでしょう。社会で生きることそれ自体が、個々人がチューニングをすることが前提となっているように思います。

 

アートや西洋音楽の歴史を振り返れば、ここ百年でこうした「チューニングされた音」を疑問視し、チューニングされていない、一般的に音楽とは認められにくい/認められない音に着目し、それを再評価する試みが数えきれないほどされてきました。同時にそれは、美しく調和した社会から疎外された規格外の人々や文化、思想、ライフスタイルの再評価だったと考えます。ですが、僕は一人のアーティストとして、それも公務員の家に生まれ育ち、美術の教育も受けていない元サラリーマンのアーティストとして、毎朝ちゃんとチューニングしてこの社会で交響曲を奏で続けているような、規格に適合した人々にフォーカスしたいと考えました。チェロだってクラリネットだって、やろうと思えばむちゃくちゃな音が出せるんです。その方が楽で自然なんです。でも、それを敢えて毎朝「A」にチューニングし、ちょっと油断すると「ズレている/狂っている」と指弾されてしまう社会で、秩序と調和を生み出し続けるというのはどういうことなのか。社会のインサイダーであり続けるというのはどういうことなのか。それを表現したいと思いました。

 

楽にピタッとチューニングできる名器として生まれた人もいれば、Aに合わせると他の音が狂うような規格外すれすれのポンコツもいます。ある曲を演奏するためだけに作られた楽器なのに、違う曲を演奏せざるを得ない環境に置かれた人もいます。何らかの事故で正しい音程が出なくなってしまった人もいることでしょう。この作品が、そうしたすべての人達が(従う/背くという形で)直面する「A」という規範について思いを馳せるきっかけになれば幸いです。17世紀アメリカの厳格な社会を描いた小説、『緋文字』では、主人公の胸に刻印された「A」の意味は最後まで明示されませんでした。21世紀の日本では、「A」はどのような意味を持つのでしょうか。

 

このパフォーマンスが終わった後に僕を待っているものが、達成感なのか成長なのか虚無感なのかうまいビールなのかはまだわかりません。僕もまた、パフォーマンスを通じて「A」について考えたいと思います。

 

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